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新型コロナウィルスで変化に追われて思うこと

こんにちは!

日本からYukikoです。


先週、カナダ政府が「外国人の入国を原則全面禁止」としてから、怒涛の1週間でした。

今日はナデシコはお休みですが、関係なく急ぎの対応があるというのが続いています。(暇だと休みでもお仕事しているのでYukikoにとっては当たり前ですが)


たった5日やそこらで、大変な変化が次々と起こり、それに対応していくのに必死で、正直これまででもっともしんどい時期と言えます。

まさに「混沌」。

現在カナダに滞在している高校生たちは、半数以上が帰国を決められました。まもなく多くの学生さんが戻ってきます。

そして帰ってきたいのだけれど、卒業履修の関係で、今カナダを出ることで進路が大きく影響する学生さんもいます。


私にとって中でももっともしんどいことは、経営的なことであるべきなのかもしれませんが、それは全然なく、学生さんや親御さんのお気持ちを思うと、様々な思いが錯綜していて…

とにかく不安でたまらないという姿をみることです。

少しでもその不安を軽くしたいと思うのですが、もはや今の段階では、私たちでも先が見えなさすぎて安心できることを伝えることができません。


カナダ政府や、学校機関、ホームステイなどなど、カナダも一生懸命なときで、決断も右往左往。見切り発車も多いなぁと感じます。でもどうにもできないことなんですよね。

思いがもう、いろいろなところで溢れているという。

そして力不足を感じるという。ただ気持ちに寄り添うことしか今はできません。


それが、私がこれまででもっともしんどいと思うところです。


今日はお休みなのですが、急ぎ対応もこなしつつ、どうしても書き留めておきたいことがあってブログをしたためることにしました。

新型コロナウィルスが際立たせる国同士の線


これは、いわゆる「コロナ差別」でもそうなんですが、これは分かりやすい悪影響です。

私が感じるのは、こういう分かりやすいものではなく、そして是非も決めがたく、非常に難しい問題なのかもしれません。


それは、カナダにいる方と、日本にいる方のコロナウィルスに対しての考え方や対応の仕方に大きな乖離が生まれていることです。

日本は今回、あまりにも他国と異なる独自の政策を取っています。

感染各国と同じウィルスと戦っていること、少しでも早く終息するように、という思いは同じなのに、政策は違うのです。

違う国だから当たり前なんですけど。


日本は、医療(とくに専門医)に対しての抜群のアクセスの良さ、設備の備え(肺炎を早期発見できるCTとMRIの人口当たりの台数は世界1位で飛びぬけている)、さらに日本人の国民性(清潔、物理的な接触のある挨拶の慣習がないなど)があり、感染に苦しんでいるとくに欧米諸国とは一定、異なります。

それがこの独自政策を生み、それが功を奏しているのか、ちょっと調子に乗って浮かれている、と言われつつあるところです。


ちょっと浮かれムードの今の日本は、世界から見たら本当に緊張感がない国だ!けしからん!とも思われても仕方ないです。

ただ、そうしたのは国の政策の違い、ひいては国の体制、国民性の違いがあるからなんだろうなとも思うのです。

浮かれることの言い訳には一切ありませんし、浮かれていると後で痛い目をみることは分かっているので、決して「浮かれさせてくれ!」と言っているわけではなく。


どちらがどういい、とかそういう是非の問題でもないのですが、「国の違い」「生きている環境の違い」をいつもの生活よりもものすごく感じるのです。

そして、それがうまく伝わらず、海外現地で日本のノリで過ごしてしまっているかたもいると聞くと、あぁ難しい、と思うのです。


ウィルスはどの国にいても同じなのに、本当になんだかなぁです。


海外在住の日本人が日本人のことを心配している


その浮かれっぷりはSNSなどで海外在住の日本人の方にも届いているようで、最近Twitterなどでは日本終わってる、みたいな投稿もよく見ます。

私はいつまでも警戒心を持っているのはもちろん!いいと思うのです。そうあるべき。


でも、日本にいると、やはり感染の拡大が遅い、それにより政府も規制を緩め始めたので、こうもなっちゃうのはある程度仕方ないのかなぁと思ってしまいます。

日本は検査数が少ないからだ!といいますが、原因不明の肺炎や、肺炎よる死亡者数も増えていないそうなので、やはり隠れ感染者数も欧米諸国よりは少ない。


それで浮かれるのは、何度も言いますが、よろしくないとは思います。

でも、「流される」って本当、あります。


日本の方が早かったんですよね、感染が。

そして緊迫していた時にはみんなが今のアメリカ、カナダのように日々の感染速報をこまめにチェックし、全校休校の決断にはいよいよ神経をとがらせていました。

決して、日本人はダメダメなんじゃないと思うんです。

流されているだけ。今の欧米のように厳しいムードを作ったらそっちに流されます。

そういう意味ではやはり政策ですよね。「解除」がその浮かれを加速させました。


たぶん、やっぱりその方たちとは違う国にいる、というだけ。


今こそ想像力と自分の核を持つべき


私はこの混乱に怖いと思うのは大人たちが「流されること」だと思いました。


たとえば、カナダにいる高校生たちが、母国の子がみんな帰国をするのに自分だけ残留することを不安に思い、帰国することは、この「流されること」とは違うと思います。

だって家族がいないんですもん!!

一人ぼっちで、言葉も自由自在ではない未成年に、流されるなというなんて酷すぎます。


でも、大人がそれぞれの行動を「流されて」「雰囲気で」決めるのは、本当に情けない。

大事なものは健康?周囲の人?それとも経済?


この時期にもなると、経済不安はもはや深刻で、それを感染よりも不安に思い、細心の注意を払っていつも通りの消費活動をする人がいても、それがその人の哲学です。

どんなに経済が悪くなっても、とにかく周囲に感染させたくない、自分も感染したくない、と思い家にこもるのも、その人の哲学です。


もっとも愚かなのは、流されているだけなのに、流されて結果文句をいうこと。

こういうとき人の行動を批判している人の中にも、流されているだけということに気が付いてもいない人がいます。

日本や各国が取っている独自政策がどのようなデータと実績に基づいているのか知らない人も多い。


噂やデマにより、翻弄されることも多いけれど、限りなく信用性の高い確たる出典のデータにも今は簡単にアクセスできます。

こういうときの理系的思考、その素人思考が正当かどうかはさておき、落ち着くにはとても重要です。

それらのデータは理解が非常に難しいのだけれど、そういうところから、自分の思考を成熟させて「核」を構築すべきでは?と思うのです。


そして、人にはそれぞれの哲学があることへの、想像力を持つべきです。

これは思いやりの一つです。


みんなが「感染」を「経済」を、どちらにせよ、「私たちの住む世界」を良くしたいと思っているのは同じです。

流されるのではなく、自分にとってのもっとも大事なものを、今は見つめるときだと思います。


残念ながら、今は何かをあきらめて何かを得る、ということをしなければならない時期です。

何一番に取るのか、決めておくことが、この戦いへ挑むスタートラインなのではないかなと思います。


とはいえ、何もあきらめたくないので、みなさんぎりぎりまでがんばりましょう!!!!

いつもふにゃりとしていますが、最近は家にこもって仕事仕事コロナコロナ仕事コロナ仕事なので、こんなことを書いてしまいました。


ナデシコ卒業生の親御様から「ナデシコがんばれ!!」とエールのメールもいただきました。

その学生さんも、9月からアイルランドで大学の交換留学を控えているようです。行けるといいな。

ナデシコたちはじめ、世界を知る若者が、この濃くなってしまった国同士の線を薄くしてくれることに期待しています!