こんにちは!名古屋からYukikoです~
今日は私の大学のことについて。全然留学とは関係ないですが、留学した人間のその後としてでも読んでもらえれば。。そうですネタがないんです(笑)。
大学のことは近頃のブログでも冒頭で出しては「詳しくはまた~」みたいなことも書いていたので、ここらで書いておきます!
大学に行くと決めた
大学は、2018年9月末の後期から始めました。
私は某私立大学の国文学科卒で、学士は持っているので、今回の大学は卒業目的ではありません。
ちなみに現役大学生当時は、英語はまったく必須になく、趣味で英語は続けていました。なので今のポジションと国文学科と言うのは遠く離れたところにあります。そんなもんです学生の進路選択とは。
そのとき、教職課程を取っていたのですが、2年生で辞めてしまったんですね。教員にはならないだろうとか思っていたんです。実際ならなかったです。
でも、この仕事を始めて、教育についてすごく考えるようになりました。
とくに高校留学は、カナダのカリキュラムや教育制度、日本のそれらとの違いの大きさを強く感じるようになりました。
高校留学をする学生が、日本のどのような教育理念とカリキュラムのもと、カナダに留学し物事を吸収することになるのか、そして、教育のゴールはどこなのか、ぼんやり程度ですが、考える時間が多くなっていきました。
学生さんを、正しく導くにはどうしたらいいのか、そういうものも、知りたかったのです。
とくに高校留学では、迷い躓く学生さんがたくさんいますから。
そこで、教職課程に戻ることにしてみました。
教育を勉強することが目的でしたが、そうすると一旦の切れ目がないので、教職課程修了を一つの目安としました。
国文学科卒業なので、中高の国語の教員の勉強をしています。うける。英語の方が得意なのに。。
社会人が大学に行くとこうなる
大学の授業は週3科目取りました。1日3コマ。教育課程と、国語科教育法の1と3。
先に言っておきますが、ランチは常に一人です。Aランチ450円。
そしてもちろんですが、仕事と学校の課題やテスト、ミーティングなどを掛け持つので、普通に「余裕がない!!」とテスト前にメンタルを乱し大泣きしました。
教育課程はよくある座学聴講形式の授業で、すごく耳慣れないことが多かったですが、日本とアメリカの教育の歴史を学んだり、今日の日本の教育がどのような理念や目標のもと、考えられているのか、法令や原則を学びました。
この授業は、まず大学生だったら消化試合的な受講をしていたと思います。。でもやはり大人になって、社会や教育を実際にリアルに見てから受けると、全然違いますね。
正直、楽しかったですし、今の仕事のための勉強にもなりました。
日本の学校教育の中で、たとえば今の私の留学の仕事がどんなふうに関われるのか、可能性やアイデアを考えるのにもとても有意義な知識になりましたし、北米の教育と日本の教育の一長一短を考えたり。なんか教育のことで頭がいっぱいになりました。
国語科教育法は、実際の国語の模擬授業を先生に見てもらい評価してもらう授業です。
これはなんとグループワーク。私、20そこそこの学生さんたちとグループワークしてました。
この授業は、もちろん授業の細部のつくりの大変さや奥深さでの苦心はしましたが、ほかの学生さんが苦戦していた「人前で頼もしく(それっぽく)ふるまうこと」は私にとっては日常でした。
クラスメイトからのフィードバックに「さすが社会人」とか「貫録を感じた」とかコメントをもらって、素直にうれしい反面、一回り以上の年齢差がより際立ったな、と若干の後悔すらしました。
それよりも、私がすごく感じたのは、クラスメイトの学生さんの温かさ!!クラスメイトはみんな教育学科の学生さんで、多くは小学校教諭を目指している学生さんみたいです。
だからなのか、コミュ力がみんなすごく高くて、こんな異端児な私をすごく温かく受け入れてくれて、優しくて、泣きそうでした。同じグループでない子も、名前とか覚えててくれるんですよ。普通に話しかけてくれるし、挨拶もしてくれるし。
そして休み時間とかに「新美さーーん!!」と遠くから用も特にないのに駆け寄ってきてくれるかわいい女子大生!!!最高でした。
ネットワーク系を使うITリテラシーが意外と低めなのにびっくりはしましたが、そういうものは外的なもの。
こういう温かくて人間味のある学生さんたちが先生を目指しているというのは、私に希望を与えてくれました。みんなが試験に受かるといいな。
でも結論、教員にはなれない
が、しかし私は教員にはなりません。
というかなれません。
教員になるには、3週間ほどの教育実習に行かないといけないのですが、現実的に考えて不可能だからです。
ほぼ1日拘束が3週間はちょっと厳しい気がします。。どうしても免許がほしくなったら、それを見据えて数年前からスタッフを増員するしかなさそうです。
今いる場所でも教育のこと、学生さんのことは考えられる
でも別に悲しくありませんし、悔しくもありません。免許皆伝という達成感は感じてみたいな~と思いますが、私は今の仕事を誇りに思っています。
そして、今いる場所だからこそ、見える景色もあるんです。
今の仕事だからこそ、できることもある。
少し学校のこと、教育のことを知ることができたら、もしかしたら、今私のしていることと掛け算をして、もっともっと誰かの役に立つことができるかもしれない、と思うんです。
日本の教育の良さと北米の教育の良さの、いいとこどりをするようなことを考えたり、もし日本にやはり戻りたいという学生さんがいたら、詳しく指南してあげられたり。。教育のことで相談できる元教員の大学の先生などの人脈もできました。
(この前、実際にそういうことがあったとき、先生にアドバイスもらったりもしました。)
正直、こんなに苦労してまで掛け持つことなのか?と思った時もありました(おもにテスト前)。でも、決して大学を始めたことはマイナスではなく、間違いなくプラス。な気がします。きっとこれから自分がプラスにしていくんだと思います。
留学したから自由に生きれるようになった
このまま、無理をせず、迷惑をかけない限りですが、しばらく大学生活を続けようと思っています。
どう見ても職員、みたいな私がクラスにいるのは、先生もちょっとやりづらいだろうなと思いますし、グループワークがなければまず友達なんてできないので孤独ですが、べつに恥ずかしくはありません。
そして人に話すと結構「え?どこに向かってんの?」とか「結婚がますます遠くなるねー」とかやんややんや言われます。
そりゃそうですよね、私もそう思う。やんややんや言ってやってくれ。引かれてるとまではいかないものの、変わりものだと思われてます。
でも!別にいいじゃない!!北米の大学なんて年齢層もっと広いわよ!!!
と、自分のすることにわりと図々しくなれたのは、カナダやアメリカで年齢や性別や人種にとらわれることなく、自由に生きて必死になって苦しんで、そして輝いている人たちを見たからだと思います。
自由すぎて、アルコール依存症になり夜な夜なベランダで叫びだすカナディアン40歳のおじさんルームメイトは私の勇気になりました。(なりたくはないけど)
自由は苦しいことでもあります。
選ぶ自分の責任が常にそこにあり、人と違う人生を選ぶことで、後から泣き言は言えなくなってしまうのです。自分が好きでそうしたんだもの。
人と同じ人生は楽ですし、それなりに幸せです。
それをいつもなかなか選べない自分は、バカだなぁと思います。不幸だと思った時もありました。
その代わり、自由に生きて、幸せになれたときの喜びはひとしおです。
「みんながもってる幸せ」ではなく、それはまぎれもなく「自分だけの幸せ」であり、それが自分の力と才能なんです。
留学もそう。
留学も、結構勇気いることです。
高校留学も、大学新卒を捨ててくる留学も、せっかく勤めた会社を辞めてくるワーホリも、ちょっと人とは歩む道のりが違くなります。
でもだからこそ、留学を経て幸せになれたとき、満たされたとき、それは普通の枠のなかで生きている人よりももっともっとうれしくなります。
留学に飛び込めた人は、きっとそれからどこに行っても飛び込んでいく感じの人生になると思います。
楽しくないですか??
と、今日は啓発ブログみたいになっちゃいましたが、まとめると「いいおばはんが女子大生を気取ることを盛大に正当化したブログ」ということですね!
いいの!幸せなの!!
そんな感じで、今日もいい感じに本業にまい進いたします!
こんなナデシコを引き続きよろしくお願いいたします(・∀・)